今回は、謡の動画です。※観世流梅若 謡をしっかり聴くもよし。 作業中に聴くもよし。 寝る前に聴くもよし。

●能「砧(きぬた)」あらすじ 九州芦屋の某は訴訟あって京に上ったまま三年たっても帰れない。それで侍女夕霧を下して、今年のくれには帰ると言伝てさせた。夫を恋う思いに堪えかねて、そのつれなさを怨んでいた妻(シテ・主人公)は夕霧を迎え、秋の夜の砧の音に淋しい思いをする。昔、中国で胡国に捕われた前漢の蘇武は妻子の衣を打つ砧の音を遠く聞くことができたという。妻はいやしい砧を打ってその音が夫の耳に達することを願う。秋風がこの音を東へ東へと送るだろう。しかしそれは夜嵐の音や虫の声と交って、ほろほろはらはらと淋しく響き、涙をさそうのだ。また都からの使者があってこの暮れにも帰れないと伝えて来た。夫の心変わりだろうと思った妻は、そのまま病床について亡くなってしまった。 ようやく帰国した夫は妻の死を知り、深くその心を憐んで、せめてもの思いに梓弓にかけて妻の亡魂を迎えることにした。すると、妻の亡霊(後シテ・主人公)がやつれ果てた姿で見えてくる。梓弓の音にひかれ、杖にすがって出た亡霊は、あまりに深い恋慕、邪婬の業に沈んで、まるで生前に自分が打った砧のように獄卒に笞打たれ続けて、それはあさましい姿なのである。二世を誓ったかいもなく、空しく待たされた亡者は、夫を怨んで苦痛の様相を示すが、今は夫の手厚い弔いを受けてようやく成仏してゆく。

参考『梅若謡曲全集 上巻』能楽書林   『能の事典』三省堂

●能「東北(とうぼく)」あらすじ 春のはじめ、東国の僧が都へ上って東北院に詣で、美しい梅を見てその梅の樹の名を里人に問うと、和泉式部だと教えられた。そこへ若く美しい女(シテ・主人公)が声をかけ、それは違うといった。ここがまだ寺とはならず上東門院(藤原道長の娘彰子で、一条天皇の中宮)の御所であったころ、和泉式部が植えたもので、「軒端の梅」と名づけたと女は説明する。その上、あの方丈が和泉式部の臥所(ふしど。寝床)で、昔の通りも今も残っていて、花も主を慕うか、年々に色香を加えるという。その上自分がその花の主といったかと思うと花の蔭にその姿は見えなくなった。 僧がこの花に法華経を読誦していると、ありし日の和泉式部(後シテ・主人公)が姿を現し、読経を感謝する。そして遠い昔の思い出を話し、今は歌舞の菩薩となっていることや和歌の徳について述べ、さらに東北院の有様、そこに参詣する人々のことなどを語る。彼女は続いて昔をしのびつつ舞を舞い、あまりに昔が懐かしく恋しいと涙を落とすが、それを人に見せるのは恥ずかしいと、方丈の中へ入ってゆく。そして僧は夢から覚める。

参考『梅若謡曲全集 中巻』能楽書林   『能の事典』三省堂

●能「富士太鼓(ふじたいこ)」あらすじ 萩原院(花園天皇)の時、内裏に七日間の管弦が催されたが、天王寺の浅間、住吉の富士は、ともに太鼓の上手な楽人で互いにその役を望んで都へ上った。このことから浅間は富士を殺害してしまう。富士の妻(シテ・主人公)は不吉な夢を見るので、一女を連れて夫を尋ねて都へ上った。すると官人から事の次第を知らされ、形見の装束を渡された。それを見つめて彼女は、夫の上洛を止めるべきであったと悔やむ。妻は夫の形見の装束を身につけ、狂乱状態となって、太鼓のために死んだのだから太鼓こそ夫の敵である、父の敵であるといって、娘に太鼓を打たせ、二人は涙にくれる。やがて富士の霊が妻にのりうつり、妻は娘を押しのけて恨みの太鼓を打ち、舞を舞う。それは、富士の山おろしに裾野の桜が四方へ散るような華やかさであった。撥(ばち)を捨てて泣き出した妻は、恨みの心が晴れたといい、君の御代を祝って舞う。そして形見の着物を脱ぎ捨てて、これこそ夫の形見であったと太鼓を見つめ、住吉へ帰ってゆく。

参考『梅若謡曲全集 下巻』能楽書林   『能の事典』三省堂